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泉 椿魚 (いずみ・ちんぎょ) 略歴
本名 泉 正勝 昭和18年、中国の北京にて生まれる。
終戦とともに帰国。山気つけん豊浦町小串で小学校五年までを過ごす。
父の仕事の都合で下関に転居し、高校を卒業。
デザイナーを志望し武蔵野美術大学を受験中、父の急死のため家業を継ぐが、自分の夢を捨てきれず九州のデザイン会社に就職。倒産、閉鎖などを繰り返し、ついに20年前、妻子故郷を捨て博多を出奔。転々と居を移しながら日本海沿いに北上の旅を続けている。その途中、地元のひとびとのふれあいの中から町おこし、村おこしで異才を発揮。輪島・金沢・酒田・利賀村などに多くの足跡を残している。著書に『人生最後に笑えれば』(小学館文庫)がある。
―以上 泉椿魚著『風のごとく生きる』(パルス出版)平成15年発行 より抜粋―
輪島・金沢・利賀村・佐渡島・酒田・最上川・秋田県男鹿などに多くの足跡を残している。平成23年10月より青森県弘前市在住。旅の最終目的地を宗谷岬と決め、北上後、平成28年5月、山形県を終の棲家と定め、転居。
椿魚のひとり言
十数年前、すべてのしがらみを絶ち、犬3匹を連れて福岡・博多を発ち、日本海を沿って北上。見知らぬ町や村に立寄りながら、人と自然を吾の師とし「詩画の道」を歩んでいます。現在58歳、未だ「ひよっこ」。雪深い富山県の五箇山・利賀村で、廃校となった小学校の分校を、「椿魚の流星庵」とし、村の方々の暖かいご支援の中で生かさせていただいています。
自分の半生、人間として生きてこられた道を振り返りながら、旅で出会った見知らぬ人・自然を、更なる師とし、今日から始まる新しい出合いに期待を膨らませ、感性のおもむくまま、戯句・陶芸・絵画・漆芸などに明け暮れる日々。椿魚の「戯遊詩画人」としての足跡を、その地に残させていただけることに、深く感謝し喜んでいます。過去、金沢「東廓・懐華樓」の修復工事の設計・デザイン・プロデュースをはじめ、金沢料亭旅館「滝亭」の俳諧処「春夏庵」「秋冬庵」、金沢の「石引き祭り」、利賀村そばの郷「雪の庄屋」、富山県氷見市にある民宿「磯波風」の大広間の陶板画製作などのデザイン・プロデュース、そして山形県酒田市で江戸時代から栄えた料亭「相馬屋」を修復し、新たな観光名所「舞娘茶屋・雛蔵画廊」『相馬樓』の修復工事の設計・デザイン・プロデュースなどを、手掛けさせていただき、平成14年3月、5年間住み慣れた利賀村に、逗留の宿・天竺温泉の郷館内に、椿魚の「山のてっぺん美術館」を開館させていただき、心より深く感謝いたしております。旅の途中、さまざまな人との出逢いから始まる椿魚の莫迦な夢。それがかなうのも人様との良きご縁の賜物です。
「人生 良きご縁 雪だるまの如し」 「月よりも 星より綺麗 人の愛」これは椿魚の人生句でありテーマのひとつです。
-フォト・エッセイCD 越中・五箇山 利賀・おこころ燦燦の詩『人生最後に笑えれば』より-
泉椿魚氏著書/人生最後に笑えれば(小学館文庫)
泉 椿魚